代表者インタビュー

最初のバイト先は地元の焼肉屋さんでした

幼少期はどう過ごされていたんですか?

貧乏だったんですよ、ほんとに (笑)。4人兄弟の長男として育ったんですけど、絵に描いたような貧しい家庭で。サッカーのスパイクとかユニフォームもロクに買ってもらえなくてね。中学の時に日雇いのアルバイトをこっそりやったり、学生時代はバイトと部活(サッカー)とちょっぴりヤンチャ(笑)しかやってなかったかな。今思えば貧しいながら幸せだったなーと思いますけどね。

幼いころは、外食なんてそうそう連れて行ってもらえることなんてなくて・・・でね、ぼくが中学校2年の時だったかな、近所に安い焼肉チェーン店ができまして、ちょうどその時オヤジが「ボーナスが入ったから、焼肉屋に連れてってやる」ってその焼肉屋に家族で行ったんです。ほら、あの時(1998年頃)カルビ280円とか凄い話題になったじゃないですか?で、生まれて初めて焼肉屋で食べたんですよ、焼肉を。それが衝撃的に美味しくって、感動したんです。世の中にこんな美味しい食べ物があるんだーって。もうそこから、根っからの肉好きになってしまいまして、高校の時のアルバイトが地元の焼肉屋で、その後就職したのは、名古屋駅にある老舗の焼肉店でした。そこで、お肉の勉強をシコタマさせて頂きました。とにかく「美味い肉」を求めて、いろんな産地や、生産者さんの元まで 勉強にいきました。

勤めていた焼肉店では、お肉の勉強だけでなく、店舗運営、マネジメント、販売促進、求人、採用、教育・・・本当にたくさんの事を学ばせて頂きました。出世もして、25歳で役員を任せて頂きましたので、早い段階で経営も勉強させて頂きました。
あとは、そうですね。ぼくは学生時代、俗にいう落ちこぼれってやつで、クラスメートによくバカにされていたんですよ。で、要領のイイ奴が、イイ大学行って、イイ会社に就職して、そこそこの暮らしをしているのを目の当たりにして、凄く悔しい思いをしたのを覚えています。「クソーいつか見返してやるからな!」って。つまりコンプレックスですよね。アイツらには負けたくない。絶対成功者になってやる!って思ってました。それが独立した時のモチベーションでもありました。

どうして立呑みを選んだんですか?

インタビュー01

まずは最初おカネがありませんから、当然大きなお店なんて持てない訳ですよ。
小さく始めるしか手段がなかったんです。それが最も大きな理由ですけど、先ほどお話させていただいたように、ぼくって無類の肉好きじゃないですか?で、美味い肉を追求し続けたら、生産者さんの所まで、行っていたわけです。「本当に美味しいお肉を教えてください」ってね。問屋さんは美味しいお肉=高いお肉としか教えてくれませんから。
それでね、ある日出会ってしまう訳です。「今までこんな美味しいお肉食べた事がない!」っ てお肉と (笑)。作ってる生産者さんが、本当にいい人で、真面目で、お肉を作らせたら、 本当にプロフェッショナルなんです。でもね、売るのが下手なんです (笑)。
そんな商品を商材にして立呑み屋を始めました。ぼくからしたら絶対の自信作な訳です。これを、そのまま情熱的にお客様に伝えたい。接近戦で体当たりをしたいと思いました。 だから立呑みなんです。お客様との距離が近いところに魅力を感じました。

それから、ぼくらがしのぎを削る飲食の世界って、やはり競争が激しい。もちろん隣に大手の居酒屋さんなんてきたら死活問題ですよ。でもね、立呑みなら戦えると思ったんです。お客様と接近戦で勝負する。絶対の自信作を心を込めて提供し、一生懸命その良さを伝え る。これは、大手とも対等に戦える武器だと思ったんです。
それが、今のところはうまくいっていて、店舗数も順調に拡大しています。このスタイルは貫いていきたいです。

まずは【大黒】で300店舗。
それができたら次は【魚椿】でもう300店舗。
いずれは時価総額1,000億円、
すなわち日本の外食企業TOP10を目指します。

そうして多店舗展開を始められた

経営理念が、『ひとつでも多くの「笑顔」と「笑い声」に出 会いたい。』ですから、ひとつでも多くのお店を増やしたい と思うことは当然です。
お客様だけでなく、ひとりでも多くの社員さん、取引業者 さん、関係者さん、友人知人が笑顔になれるように、笑い声を聞けるように、そして「大谷光徳」と出会えてよかった。 と言って頂けるように、これからも店舗展開を続けていこ うと考えています。

やっぱり立呑みで?

ぼくらの得意なスタイルは【立呑み】であり、【接近戦】です。
これはかなり確立できたんじゃないかなって思っています。お客さんもとても多く支持してくださって、おかげさまで、コロナ後の売上も堅調に推移しています。人間ですから、経営資源に余裕が生まれてきたら、いろんなことに挑戦してやろう!って野心が生まれても何もおかしくないと思いますが、ぼくらはこの得意なスタイルを変えるつもりは全くありません。もちろん株式会社ですから、新規事業へのチャレンジはこの先も続けていきますが、お客さんに喜んでもらえることを徹底的に繰り返す。この信条がブレることはこの先 も無いと断言できます。
立地や店舗の形状によって【立呑み】ではなく着座スタイルのお店もありますが、平均10坪の小箱スタイルはこの先も貫いていこうと思っています。社内のスローガンに【10坪のイノベーションを起こす】ってのがあるんですが、これからも創意工夫して10坪の小さなお店に、今まで見たこともないようなたくさんの笑い声を響かせられる、そんな革新を起こそうと思っています。

どうやって300店舗も展開するんですか?

ぼくらが参入している居酒屋の市場規模は 1兆5,000億円と言われています。(富士経済「外食マーケティング便覧 2019No.2 より)昨今の経済情勢の中、大手チェーン店の都心型大型店舗の宴会需要は大きく減少しました。でも日本人全体の胃袋の数は変わらないわけですから、お酒を飲みたいオジサンの数が減ってるわけではない。ここにチャンスがあると考えています。具体的には乗降客数が16万人以上の主要駅での【ドミナント出店】を狙っています。現在、名古屋駅、金山、栄、仙台、蒲田、広島の各エリアでドミナントに成功しています。乗降客数16万人以上の駅は全国に136駅ありますから、同じようなドミナントを全国に網羅的に展開することによって300店舗は現実的な数字と見ています。このロジックでまずは【大黒】で300店舗、次に【魚椿】で300店舗展開していこうと思っ ています。いずれは時価総額1,000億円の企業に、それはすなわち日本の外食企業 TOP10入りを意味します。
ひとつでも多くの【笑顔】と【笑い声】に出会いたい。この経営理念を胸に、「もうひとつ笑顔が溢れる明日」を目指して日常のささやかな幸せを数多く提供し、食を通じて社会貢献する。そんな企業を目指します。
プロフィール画像
光フードサービス株式会社 代表取締役 大谷 光徳

1980年生まれ、
老舗の焼肉チェーン店に就職、役員を経て、起業。
立呑みを中心とした業態で、名古屋を中心に店舗を展開中。
DVD「小さな飲食店で大きな利益』出演

記事掲載
日経レストラン、日経流通新聞、日本外食新聞、
中部経済新聞 等。